- ペレもフットサルから始めた
- サッカーの世界的英雄ペレ(ブラジル)が「私のサッカーとの出会いは、10歳の時の小さなフィールド・フットボールだった」と言っています。
- 広い場所や本格的な競技場ではなく、空き地や公園で、体育館の中で、ときには道路や学校の教室(?)で、少人数で遊ぶミニサッカー、それがフットサルです。ですから神様ペレに限らず、きっと誰もが一度はフットサルをしたことがあるはずです。
- 1863年のフットボール協会設立(イギリス)と同時にサッカーの統一ルールができ、さらにさかのぼって14世紀にはフットボールと呼ばれるものがヨーロッパで行われていた事も考えると、遊びとしてのフットサルも、はるか昔から世界のいろいろな場所で行われていたと言えるでしょう。
- ウルグアイで競技化
- サッカー(11人制)の第1回ワールドカップがウルグアイで開かれたのが1930年、それ以来もっとも盛んなスポーツとしてサッカーの競技人口は世界的に増え続けています。プレーヤーが増えればやる場所が不足してきます。そこで工夫されて生まれたのが「サロンフットボール」です。ウルグアイのYMCAのメンバーがルール化し、競技として組織化しました。サロンフットボールは手軽な屋内競技として、まもなく南米全体へと拡がっていき、南米選手権が毎年のように開かれるようになりました。その後スペインやイタリア、チェコ、オランダなどヨーロッパでも盛んに行われるようになり、1961年に世界サロンフットボール連盟(FIFUSA)が設立されました。
- UEFAとサロンフットボール世界選手権
- 1980年代初期のことまで、サロンフットボールを含めた世界のフットサルにはさまざまなものがありました。南米では「サロンフットボール」、欧州では「インドアサッカー」と呼ばれ、世界各地で独自のルールで発展していきました。大きな違いはサロンフットボールは弾まないボールを使います。対するインドアサッカーは普通のサッカーボールを使い、壁面の跳ねかえりも利用できます。
- ヨーロッパ・サッカー連盟(UEFA)は、オランダのザール・フットボール(ザール=ZAAL:部屋)のルールをもとに、「インドアサッカー」のルール統一化を図りました。そしてオランダ、ベルギー、スペイン、イタリアが加わっての4か国大会が開かれました。一方「サロンフットボール」のFIFUSAはブラジル選手権、南米選手権と発展してきた大会を拡大して、第1回世界サロンフットボール世界選手権大会を1982年に開催しました。
- FIFA登場
- ブラジルのサンパウロで開催されたFIFUSA主催のこの大会には、10か国の代表チームが参加、続いて行われた第2回スペイン大会(85年)には16か国が参加しました。以降、88年オーストラリア、91年イタリアと3年毎に開催されてきました。一方、国際サッカー連盟(FIFA)が1988年に独自のルールを作りました。これが「ファイブ・ア・サイド・フットボール」です。FIFAはファイブ・ア・サンドの世界大会を89年にオランダで、16か国を招待して開催しました。92年には香港で予選を勝ち抜いた24か国が参加した第2回大会を開催しました。日本は89年の第1回大会にアジアから唯一参加しました。
- FUTSALに統一
- FIFAとFIFUSAの2極路線がほぼ統一されたのが92年の香港大会です。この大会後、ルールの問題点を改正した上で、1994年にFIFAが「FUTSAL」と競技名称を改めて、改正ルールを発行しました。日本もこの決定を受けて、今後「フットサル」をミニサッカーの正式名称としていくことになりました。
- 欧州、南米の草野球=ミニサッカー
- 「どうしてヨーロッパや南米と日本のサッカーは技術やレベルが違うのだろう?」1970年代の日本サッカー界が抱えていた難問の答えは「ミニサッカー」でした。日本の草野球と同じように、ミニサッカーが盛んに行われている欧州や南米では、そこから子供たちが育ってくるというわけです。日本リーグ参加のために来日したセルジオ越後、アデマール・マリーニョ、ラモス瑠偉、ジョージ与那城らの指摘を受けて、日本のミニサッカーがスタートしました。
- 1977年、日本ミニサッカー連盟発足
- 70年代、国内でも各種ミニサッカー大会が行われるようになると、組織化が始まりました。(財)日本サッカー協会傘下にできた日本ミニサッカー連盟です。発起人は岡野俊一郎、森健兒、平木隆三ら、初代会長は竹腰重丸、同理事長は森健兒でした。
- いろいろなミニサッカー
- そしてさまざまな大会が開催されます。「第1回ミニサッカー選手権大会」には日本リーグ全8チームが出場しヤンマーが優勝、翌年の第2回は古川電工が優勝しました。76年には女子大、OLらのチームによる女性8人制ミニサッカーが始まり、80年まで大会が続けられました。そのほか伊勢丹のミニサッカー大会、千葉県千倉町の黒潮サッカーフェスティバル(ビーチサッカーのはしり)などいろいろな大会が登場します。中でも「全国少年総合ミニサッカー大会」(79年?)は、部門制や各地会場持ち回りなど大規模な大会でした。この大会からさらに小学5年?中学3年を対象に、5人制、6人制、8人制の種目別、学年別競技も計画されました。
- 全日本少年ミニサッカー大会誕生
- ミニサッカー連盟主催により10年間行われた「全国少年総合ミニサッカー大会」は日本サッカー協会主催の本格的公式大会へと発展していきます。90年、91年のプレ全国大会に引き続き、92年から新たに「全国少年ミニサッカー大会」が誕生しました。第1回大会は24チーム、第2?3回大会は32チーム、95年の第4回大会には36チームが参加、年々確実に全国へ広がってきています。
- 日本での国際大会
- さらに81年、ブラジル・バネスパのジュベニール・チーム(17、18歳)を招いて「国際サロンフットボール大会」が行われたのに続き、以降毎年のようにブラジルやオーストラリアのチームを招いての「国際ミニサッカー大会」が開催されてきました。また、83年、85年、88年のFIFUSA世界サロンフットボール大会の他、87年のパンパシフィック大会(豪・キャンベラ)に日本代表チーム、オーストラリアとブラジルへ十条FCフットサルチームが遠征するなど、国際交流も盛んに行われてきました。
- 1種、ジュニアユース、女子
- フットサルの普及、振興のためには、先ず全国大会が必要です。フットサル委員会と日本フットサル連盟では、現在先行しているジュニア(少年)に加え第1種の全国大会づくりが急務であると考え、96年2月に初の第1種全国大会「第1回全日本フットサル選手権大会 フットサルニッサンカップ'96」が開催されました。そしてこれに続いてジュニアユース、ユース、大学、女子という順番に全日本大会を開催していこうと考えています。
- まだ、アタマもカラダも柔らかい中学生(ジュニアユース)にとってフットサルはとても重要なスポーツです。また会場が奇麗でユニフォームや体が汚れにくく、パワーでなく技術で勝負できるところは女子にもむいています。人数も5人ですから仲間づくりが簡単で相互理解もしやすいという特性があります。「ニッサンカップ」の誕生を契機に幅広い層へフットサルが広がっていくことが期待されます。
- 草フットサルから世界へ
- 現在日本ではいろいろなフットサル大会が開催され、参加チームもすぐに数千チームが集まります。競技人口の増加に伴い、より良いプレー環境を整備し、フットサルの更なる普及・発展及びこの競技の強化を図るために、2002年度よりフットサル個人登録制度をスタートしました。これにより1996年から実施されている大会ごとのチーム登録と合わせ、登録することで草フットサルプレーヤーも日本代表になれる可能性が生まれる仕組みが出来上がりました。
- FIFAが主催するフットサル世界大会への出場選手も、このような組織と大会から選ばれるので、大きな夢が生まれたわけです。
出典:「第12回全日本フットサル選手権九州大会パンフレットより」






















